2022年6月。政府から発表された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」では、政府調達をはじめ、スタートアップ育成への支援策が数多く盛り込まれた。こうした動きに対して、専門家はどう見ているのか。前編では、一橋大学名誉教授 宍戸善一氏、当社社外取締役 梅澤高明に政策の是非と日本再興の可能性について伺った。
ディープテックをはじめ、日本のスタートアップが世界に飛躍するために官民として何ができるのか──後編となる今回は、両氏が考える具体策について余すところなく語っていただいた。
起業家が世界を目指せば、日本のスタートアップはもっとスケールできる
──日本のスタートアップ市場は、世界に遅れを取っていると言われています。実際、海外の投資家たちに日本のスタートアップは認知されているのでしょうか。
梅澤:あまり認知されていないのが実情です。海外でのピッチへの参加企業もまだまだ少ないし、米国で大成功しているスタートアップも存在しない。おそらく日本は「スタートアップがあまり出てこない国」だと思われています。
宍戸:日本は、一定以上の国内の市場規模があるから、日本一を目指す起業家が多い。国内トップクラスの企業になりさえすれば、対外競争にさらされない大きなマーケットで、ぬくぬくと生き抜くことができる。
シリコンバレーの起業家たちは、ガレージで開業した瞬間から世界制覇を狙っています。となると、創業当時から莫大なVC投資が必要になるので、シリーズA、Bの段階から創業者の持ち株比率は過半数を割らざるを得ない。
一方、日本のスタートアップは世界に挑まない分、必要となる資金調達額が少ないから、創業者はギリギリまで過半数の持ち株比率を維持しようとします。その結果、資本の規模として小さくまとまってしまい、当然、海外VCからは相手にしてもらえません。
それに加えて、未だ言葉の壁は大きいと感じています。ここ30年で、日本人留学生の英語力は韓国人留学生に完全に追い抜かされてしまいました。幼少期から英語を「1つのコミュニケーションツール」として捉えられるような、“壁を取り払う”教育を、国をあげて進めないと、本当の国際化は難しいのではないでしょうか。
梅澤:私は、外国人を国内にどんどん呼び込むことが、日本人の国際感覚を育むことにつながると思っています。ここ10年で外国人観光客が増加したことで、地方、特に有名観光地は「外国人が来ると、経済的に潤う」ことを実感し、以前に比べてかなりオープンマインドになりました。今後、観光客だけでなく、ビジネスパーソンや留学生など海外の才能と触れ合う機会を増やしていければ、優秀な若者たちは彼らとコミュニケーションできることの重要性に気づくはずです。
北海道ニセコ町は、英語圏、特にオーストラリアの富裕層が集まる地域になりましたが、彼らがお金を使う経済圏の中で仕事をできる人、できない人、つまり英語ができる人、できない人に明らかな給与格差があるんです。各地にニセコのような場所を生み出せれば、あっという間に日本人の英語力は伸びると思います。
上位校・優秀層学生の間で高まる「起業して、面白いことをやりたい」という志向
──近年、大学発スタートアップが増えてきましたが、学生に対する起業家育成について、各校の取り組みは進んでいるのでしょうか。
宍戸:学部の垣根を超えたスタートアップ教育システムは、東京大学を筆頭に整備されてきています。30年前は、東大の学生が起業する、もしくはベンチャー企業に就職することは到底考えられなかったのですが、今は「大企業に就職するよりも、若いうちから面白いことをやりたい」と起業する人が増えています。
梅澤:東大の松尾研究室の功績は大きいですよね。この研究室から複数の有力スタートアップが輩出されたことによって、優秀な学生が「こういうキャリアパスもあるんだ」と認識するようになりました。
先日、東大と慶応大のWeb3サークルの学生たちと話をしましたが、彼らの多くがすでに起業していましたね。トップ校では上位5%の学生たちがまず考えるのは起業で、すぐに起業できない場合は、有望なスタートアップかコンサルティング企業のどちらかで修行する、というキャリア選択が多くなっています。
──宍戸先生個人として、学生に働きかけていることはありますか?
宍戸:大学院で博士論文を執筆中の学生に対して「エレベーターピッチ」を勧めています。自分が書いている論文の内容をエレベーターで偶然出会った教授にうまくプレゼンできるか。30秒ほどの短い間で「君、面白いことをやっているね」と言わせたら、しめたものです。
この働きかけには「エレベーターピッチをやっている自分の姿を想像しながら、スケールの大きい論文を書きなさい」という意味が込められていますが、起業家であればこのピッチで投資を受けられるかもしれないし、会社員であれば社長に目をかけられる可能性が高まりますよね。
ディープテック躍進のために必要な「知財ライセンス」「研究者への経営者教育」サポート
──大学発スタートアップは、日本のディープテックを世界に知らしめるためにも不可欠な存在だと思うのですが、躍進させるためにはどのような取り組みが必要だと思いますか。
宍戸:知財ライセンス交渉が、大学発スタートアップにとって大きな障壁となっているので解決したい課題です。
大学における共同研究では、たとえ起業家本人が考えたアイデアであっても、知財所有権は大学に帰属するため、スピンオフ後は高額なライセンス料をキャッシュで払うことを求められるのが現状です。それがとくにシード期のスタートアップにとって大変な負担となっているのです。大企業からスピンオフしたスタートアップも同様の問題を抱えています。
梅澤:私もこの件については課題を感じており、知的財産戦略本部の本部員として提言を続けてきました。2022年6月に「大学が所有している知財をスタートアップやベンチャーが使用する際には、株式あるいは新株予約権で処理できるようにする」という方針が出たばかりです。
宍戸:今後、この方針をいかに現場に浸透させていくかが、日本のディープテック躍進のカギになるでしょう。
また、先ほど学生の起業家教育の話が出ましたが、研究者への教育も必要です。研究者でありながら、素晴らしい経営者だという例は皆無ではないですが、非常に稀です。
王道なのは、研究者にプロの経営者をつけることです。大企業のCEOやCFO経験者を招き、人材供給やマッチング、報酬体系など経営全般について共に考えてもらう取り組みをシリコンバレーのVCは実践しています。
梅澤:私が社外取締役を務めるフォースタートアップスも、経営のプロと大学の研究室を結びつけるなど、主体的に産学連携を推進していますね。
宍戸:さらに言うと、MITでは教授の勤務時間の2~3割は、大学の業務以外の仕事をしてもいいそうです。日本の大学も同様のシステムを導入して、研究者がCTOの役割を全うできる時間がつくれるといいですね。
スタートアップ立国を目指し、官民で「ネットワーキング」支援を
──さまざまなご意見を伺ってきましたが、最後に。日本のスタートアップ市場の活性化のために、官民がサポートできることは何だと思いますか。
梅澤:日本のスタートアップの見本市をやるのは1つの手段ですよね。フォースタートアップスとCIC Japanは共同で 「成長産業カンファレンス」という大型のオンラインカンファレンスを開催しており、国内外の投資家を招いて、日本のスタートアップや関係者が現状をプレゼンテーションする場となっています。そのほか、世界の最先端テクノロジーが集結するCESのようなメジャーなイベントに日本のスタートアップを送り出すという手もありますね。
CIC Japanでも日本のスタートアップを海外に送り出すお手伝いをしています。例えば、ライフサイエンス領域の有望なスタートアップを10社選び、投資家や協業先候補とのビジネスディスカッションをボストンでセッティングする。その際、送り出す起業家たちに英語でのプレゼンテーションのコーチングも行います。先ほどの英語力の話につながりますね(笑)。
宍戸:私も、自分でプレゼンコーチをしようと思ったことが何度かあります(笑)。プレゼンの大切さを理解していない日本の起業家はとても多い。
今、梅澤さんがお話しされたのは、広い意味でネットワーキングの支援だと認識したのですが、このことに関しては、民間のみならず、政府にもできることがあるのではないかと思います。
たとえば、シリコンバレーの場合。日本企業というだけでは、なかなか現地のネットワークに入り込むことは難しい。しかし、日本政府を名乗れば、キーパーソンに面談してもらえる可能性は圧倒的に高くなります。ですから日本政府の出先の方が現地に長期駐在し、仲介役となれば、ネットワーキングが円滑に進むのではないかと思います。海外のスタートアップが日本に来るときも同様で、彼らと日本社会をつなぐ仲介役がいれば、スタートアップ・エコシステムのさらなる構築へとつながります。投資の話と同じく、ネットワーキングの面においても、政府が直接介入しないサポートに徹してくれれば、日本はもっと良い方向に進んでいけるのではないでしょうか。
起業家をはじめ、VCや優秀な投資家にインセンティブを付与することが、スタートアップ、ベンチャー興しには欠かせません。平等主義を好む日本人の意識を、政府は変えることができるのか……それが、今回の骨太方針を実現する足掛かりになると思っています。