志は成長する。転んでは起き上がり、そのたびに視座が上がり、いつか何者かになる

2021-09-29
志は成長する。転んでは起き上がり、そのたびに視座が上がり、いつか何者かになる

竹内哲也(Tetsuya Takeuchi)は、いわゆるエリート的なピカピカのキャリアではない。受験に失敗して短大に進学し、ダンサー志望だったが、子どもの誕生により引越会社で社会人生活をスタート。それが今では、フォースタートアップス(以下、フォースタ)で大活躍。

入社からわずか10カ月でシニアヒューマンキャピタリストに昇格した。信じることに真っ直ぐなピュアな心と、価値を提供するために努力を惜しまない才能が道を切り拓いた。転んでは起き上がることを繰り返し、今がある。

学生結婚を機に引越会社に就職。生き生きと働くことの重要性を痛感して最初の転職

学生時代、ダンサーを目指していた。念願のダンス講師になったものの、人生は思いがけない方向に向かう。19歳で新しい家族ができたのだ。急遽、引越会社に就職。アルバイトからスタートして、学校を卒業後に正社員になるが、よくある営業会社同様、なかなか過酷な職場だった。皆が数字に追われ、日をまたいで営業することも度々。竹内自身は真摯に内勤営業の仕事に取り組んでいたが、周囲からは自身のWillと接続できず、愚痴を聞くことも多かった。

何とか、働いている時間をハッピーにすることはできないか。竹内なりに考え、誕生日会を企画するなど頑張った。が、そうそう変わるものでもない。いつしか「自分はこの会社を変えるために生きているのではない」と思うようになった。困っていた自分を雇ってくれたことへの感謝はあったが、転職を決意。転職先が、前職の人材系の会社(ここではA社とする)だ。

引越会社での経験から、竹内は、すべての人が生き生きと働ける社会にしたいと痛感。そのためには、「社会人の入口であるファーストキャリアを間違わなければいいのではないか」と考えた。そこで転職先は、まったくの異業種だったが、新卒採用コンサルティングや企業と学生とのマッチングサービスなどを手がけていたA社を選んだ。

このとき、竹内は自信満々だった。引越会社ではトップセールスで、経験に基づく信念もあったからだ。だが、意気揚々と参画したA社で大変な挫折を味わうことになる。引越の営業と対企業のソリューション営業はまったく違うものだった。「同じ日本人同士にも関わらず学がなかった私は言語と異業界におけるカルチャーギャップを受け、目標未達で上長から詰められ続けました。自信を喪失しながらも、中学校の国語の教科書で日本語の勉強、タイピングゲームアプリでタイピングの練習、わからない単語が出てくる度にグーグル先生に頼る日々」と、竹内は当時を振り返る。今でこそ苦笑交じりに話せるが、当時は本当に苦しかった。

成長させ、目線を上げてくれた前職には感謝しかない。自らの志に従いフォースタへ

辛い境遇だったが、上司はいい人だった。そもそも経験不足を承知で、竹内の想いを重視して採用。激詰めしながらも常に何が大事かを伝えてくれた。なかでも心に響いた言葉が3つある。

「できないことは悪ではない。悪があるとするならば、成長しようとしないことが悪である」、「こうありたいという強い想いと正しい努力さえしていれば、時間が経つにつれて必ず成長できる」、「社内でいくら怒られようが学生さんや企業さんから信頼されていれば、それが竹内の評価だ。誰のために働いているのか、どんな人間になりたいのか、本当に大事なことを忘れないように」。

竹内は、この言葉を頼りに成長し、いつしかセールスで実績を上げ、マネジメントの立場になり、新規事業の部門立ち上げも担うなど活躍した。目線も上がった。だが、そうなると今度は葛藤が生まれてきた。竹内は言う。「コロナがあって、お客様の企業が打撃を受けました。そのときに、自分たちのソリューションでは経営課題を解決できないと気づきました。新卒の学生さんに対しても同じ。その時点ではいいマッチングができても、彼らが生き生きと働くためには企業が成長し続けることが重要です。人・モノ・金の経営リソースをフルに駆使して、解決したいと思ったのです」。

そんな思いを抱いているときにフォースタと出会う。元々A社のクライアント企業にいて、一足先にジョインしていたヒューマンキャピタリストの仁木紫援から誘いを受けたのだ。「ウチと志向性が合うから受けませんか、と言われました。同世代で活躍していた仁木さんが声をかけてくれたは嬉しかったですが、当時は転職する気は全くなかったので、同じく人材ビジネスで学べる点があったら学ぼうというスタンスで話を聞きにいったところ、聞けば聞くほど、自分がかなえたい世界観と近いと感じました」。

特に魅力を感じたのが人だ。世の中を良くしたいと本気で思っている人たちに感銘を受けた。A社もいい会社だ。だが、自分が「真に価値がある」と信じることを、志を同じくする仲間と一緒に取り組むことの魅力はあまりに大きい。成長産業を支援することにもワクワクし、2020年10月、竹内はフォースタにジョインした。

ヒューマンキャピタリストとは何か。支援を通じて心から理解。ブレずに行動へ

後に、入社1年も経たずにシニアヒューマンキャピタリストとなる竹内だが、決して順風満帆だったわけではない。最初は苦労し、結果を出せない日々が続いた。竹内は振り返る。

「前職で人材紹介もやっていたから苦労したのだと思います。候補者の方に寄り添うことを意識するあまり、言い方は悪いですが、御用聞きになっていました。我々がすべきは、信念をもってスタートアップに優秀な方をいざなうこと。根本から間違っていました」。

今だからクリアにわかる。いわゆる人材会社とはビジネススキームこそ似ているかもしれないが、やっていることは全然違うのだ。それを理解し、行動へと移せるまでには少々時間がかかった。

竹内には、忘れられない2つの支援事例がある。1つは、世の「人材紹介」との違いに気付くきっかけとなったもの。候補者は、コンサルティングファーム出身の非常に優秀な人材だった。有力スタートアップ3社で順調に選考が進み、決断の際に彼は悩んだ。

「その姿を見ても私はサジェストできず、本人が決めることだと思っていました。でも、仁木に『それではあなたの介在価値がない』と言われ、はっと気づきました。我々がすべきは、日本の産業創造のために成長させるべきスタートアップに人材を送り込んで活躍してもらうこと。考えを持って支援しなければいけないという自覚が芽生えました」。このときは周囲の助けも借りて、無事に支援に結び付いた。これが、ヒューマンキャピタリストとは何かと理解するきっかけになった。

その後、先輩のやり方に学び、社内の勉強会でこれまで以上に起業家の話に耳を傾け、自分の頭で考えるようにするなど地道な努力を続けた。少しずつ実績も積み上げ、完全に壁を乗り越えたと感じられた事例が、もう1つのケースだ。

候補者は有名ベンチャー企業の役員クラスの方。顕在化している求人にあてはめるのではなく、ゼロベースでその方を必要としているスタートアップはどこかと考え、ピンときたある企業に提案した。「その会社の代表の方の話を聞いていたので、候補者の方に出会ったときに、『あの会社の今後の成長のために、この方が必要なはずだ』と仮説を立てました。筋道を立てて提案し、紹介した結果、双方ともに好感触。順調に話は進み、双方にとても喜ばれました。このとき、信念をもって顧客企業と候補者を結びつければ、その思いは伝わり、それが世の中を良くするのだと実感できました」。

ヒューマンキャピタリストとは何か。竹内は徐々に理解し、快進撃を続けている。

志は成長する。苦労し、懸命に勉強し、企業に伴走する喜びを知った密度の濃い日々

「フォースタの最終面接で常務取締役の恒田に『志成長理論』という話を聞きました。何かというと、自分がどうなりたいか、何を成し遂げたいか、最初からしっかり持っている人はほとんどいない。一つ一つ壁をクリアすることで視野、視座、視点が変わり、そして志が高まっていく―という理論です。その通りだと思います」と竹内。入社時は、フォースタの掲げるミッション、ビジョンにただ共感していただけだった。

理論の通り、壁をクリアし、多様な人に会って感化されるなかで、自分の日々の活動が世の中を良くするのだと確信を持てるようになった。その先の自分は、まだ具体のイメージはない。だが、間違いなく志は成長しており、いずれなりたい何者か、成し遂げたい何事かがクリアに見えるに違いない。

入社半年後に、ある急成長企業の担当を持つようになった。この1年で250人から500人の規模へと目まぐるしく成長しているスタートアップだ。竹内が受け持ってからの数カ月でも、そのスタートアップが必要としているポジションにフォースタ経由で約50人の参画をご支援し、会社が大きくなる過程を目の当たりにしてきた。最初は苦労し、ハイレイヤーの方たちと話すために懸命に勉強し、次第に進むべき道が見え、このように会社の成長に伴走する喜びも知った。何と密度の濃い1年弱だったことか。

人生を変えるきっかけになった新しい家族は、今ではもう1人増え、竹内のかけがえのない宝物だ。フォースタには、仕事も子育てもスマートにこなすカッコイイ家庭人が多いが、竹内もその一人。

子育てと仕事の両立は大変では?―そんな野暮な質問には「社会人の最初から子どもがいて、それが自分にとって当たり前。子どもがいるから思うように時間がとれないではなく、その中でどう最大限努力できるか、と考えてます。もちろん、苦しい時もありますが、その都度支えてくれた人たちがいたので、頑張れています。」と明快な答えが返ってきた。

ダンスからは遠ざかっているが、あの頃と同じピュアな熱情を、今、目の前の仕事に感じている。

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