
2026年、日本のスタートアップエコシステムは劇的なパラダイムシフトの渦中にある。
かつて起業家が当然のごとく目指していた「IPO一辺倒」のシナリオは終わりを告げ、いまや「M&A」は、スタートアップが次の成長を遂げるための能動的な戦略オプションへと再定義されつつある。フォースタートアップスが開催した「M&A for Startups」ミニカンファレンス vol.1 。そこに集った3人のM&Aイグジットを完遂した起業家が語ったのは、新旧メガベンチャーや伝統的企業へのグループインに至る生々しい舞台裏であり、同時に、これからの「挑戦者たち(=スタートアップス)」が生き残るための、新たな生存戦略の提示だった。

イベントの幕を開けたのは、フォースタートアップス 代表取締役 CEO 志水雄一郎が示した「STARTUP DB」の調査データにもとづくマクロ環境の市場分析だった。志水が提示したデータは、上場一直線のシングルストーリーのみに集中すれば良いという幻想を排し、挑戦する起業家たちが複数の戦略オプションを持たなければいけない状況を伝えるリアルそのものだ。
「2026年上半期の資金調達環境(エクイティ+デット)は、コロナ禍で経済活動がストップした2020年上半期と同水準にまで落ち込んでいます。2024年と比較すれば、市場規模はほぼ半減しているのが現状です」
政府が掲げた「資金調達市場を1兆円から10兆円へ」というマイルストーンとは裏腹に、市場は真逆の動きを示している。すべてのラウンドにおいて資金調達の難易度が跳ね上がるなか、さらに深刻なのは「イグジット環境の変容」だ。
2021年に83件を数えたスタートアップのIPO件数は、2025年には49件へと減少。2026年現在は年間40件ペースでの推移をたどる。だが、真の構造変化は件数ではなく、バリュエーションの「適正化」、あるいは「下落」にある。
「2025年まで、グロース市場の上場企業の平均PERは30〜40倍、高いタイミングでは200倍を超えていました。しかし現在、その数字は10〜15倍、低いものでは7倍程度で上場してきています。これは一過性の現象ではなく、エコシステム全体から見ると今後もこのPERが続くのではないかと言われています。PERが10倍台の世界では、上場したあとのブライトストーリーを維持することは極めて苦しい」
このマクロ環境の地殻変動が、起業家たちを「上場」から「M&A」へと向かわせる。2025年のM&A件数は207件だった(公開ベース)。非公開も含めれば、IPO対M&Aの比率は1対5から1対7程度ではないかと言われている。
さらに、大手企業やメガベンチャーが自社の競争優位性を担保し、さらなる市場シェア拡大を狙うために100億円規模のスタートアップM&Aを実行する事例の発生は、日本のM&A市場が従来の「事業承継型」から「スタートアップを活用した成長戦略型」へと完全にシフトしたことを証明している。

パネルディスカッションでは、モデレーターの髙橋ひかり(フォースタートアップス)の呼びかけにより、客席に配られたQRコードで会場からリアルタイムで質問を受け付けながら、性格の異なる譲受企業へとグループインを果たした3人の起業家によって、それぞれの「転換点」が紐解かれていった。

女性向けオンラインピル診療サービス「mederi Pill(メデリピル)」を展開するmederi代表の坂梨亜里咲は、上場直前期(N-1)の段階で主幹事証券会社とともに上場準備を進めていた。
「転機は、大株主である前澤友作さんとの定期ディスカッションでした。当時、オンライン診療領域は競合が激化し、広告投資を含めた資本力が競争力を左右する局面が増えていました。そうした状況の中で、今後の成長戦略や組織体制について議論を重ねるうちに、上場だけでなく、強力な資本や組織基盤を持つ企業との連携も有力な選択肢として視野に入れるようになりました。」
当初は上場へのこだわりから葛藤した坂梨だったが、2〜3週間でマインドを整理。FA(フィナンシャル・アドバイザー)を立てて約100社へ打診した結果、オンライン診療「レバクリ」を運営し、シナジーを持つレバレジーズへのグループイン(2025年7月)を決断した。

医療機関向けSaaS「CAREBOOK」を成長させ、伝統的大手企業である帝人へ売却した志水文人(現・WyL取締役 / D Capital)のストーリーは、少額出資から始まっている。
「帝人の中期経営計画における医療領域のニーズと合致し、まずは少額出資の枠組みを作りました。そこから出向社員を受け入れ、共に現場の営業を泥臭くこなすなかで強固な人間関係を構築していったのです」
シリーズBの大型調達を検討していた志水は、医療という専門性の高い領域だからこそ描ける、次のステージへの成長戦略を模索していた。「特定領域でナンバーワンを目指すことはできても、私一人の判断で突き進むより、これまで一緒に歩んできた仲間たちが、より大きな基盤の中でさらに力を発揮できる道を選びたいと考えました」。バリュエーションを上げてイグジットの選択肢を狭める前に、グループインを打診してきた帝人と「気が合いますね」と握手を交わした。

ドローンによる建物診断とスクール事業を展開していたSKY ESTATEを、2022年4月に楽天へと売却した青木達也(現・One World Technology 代表)の契機は、2019年の展示会での些細な名刺交換だった。
「最初は、現場レベルの業務提携から始まりました。楽天の物流倉庫やホテルのドローン点検を2〜3年実直にこなすなかで、現場での絶大な信頼関係を築いていったのです」
2021年、他社からの買収打診を機にM&Aを意識し始めた青木は、間近に控えたドローン操縦の「国家資格化」のニュースを鋭くキャッチする。「今が、自社の市場価値(バリュエーション)が最も高くなるピークではないか」。資本と人の力で一気に市場を獲るため、FAを迎えてM&Aに向けたプロセスを開始。FA経由の3社と並行し、楽天の担当者と日本酒を酌み交わしながら「実はM&Aに動いている」と本音を漏らした。わずか2日後、楽天内部にM&Aチームが組成される。その後、さまざまな調整を経て、最高値を提示した楽天への売却が決定した。
トークが佳境に入るなか、会場からリアルタイムで寄せられる絶え間ない質問の中から、モデレーターの髙橋がピックアップしたのは、多くの起業家や譲受企業担当者が最も生々しい実態を知りたがる問い――「こんな譲受企業は嫌だ、という実体験はあるか」というシビアな疑問だった。
髙橋はこの問いを起点に、基本合意書締結前後のタフな交渉プロセスにおける「譲れない一線」の攻防へと起業家たちの口を開かせていく。
帝人との交渉に臨んだ志水文人は、当初大企業側から提示されたいくつかの要求に対し、スタートアップM&Aの専門家である増島弁護士(森・濱田松本法律事務所 パートナー)の助言も得ながら、スタートアップとしての文化を守るという軸で一つひとつ丁寧にすり合わせていったという。
「スタートアップのカルチャーと機動性は、絶対に譲れない一線でした。その想いをLOI締結前の4ヶ月間、時間をかけて丁寧にすり合わせていきました。お互いの立場を尊重しながら握手できたからこそ、いま良い形でグループインを迎えられていると思っています」
一方で、パートナー(譲受企業)選びにおける「不誠実さ」への警鐘を鳴らしたのは坂梨だ。
「FAを通じてアプローチしてきたある類似企業は、オファー金額の下限を極端に低く提示し、『下限の金額ベースでしか見ていない』と言ってきました。すでに事業が伸びている蓋然性が高いフェーズであるにもかかわらず、市場感覚から乖離した提示をしてくる。そんな譲受企業とは、グループインしたあとに共に事業を描く未来は想像できませんでした」
バリュエーションの「幅」や交渉の態度には、譲受企業がスタートアップの文化や不確実性をどれだけリスペクトしているかという「誠実さ」が鏡のように映し出される。
青木が残した「意思決定者が曖昧な組織は時間がかかる」という言葉は、スタートアップと大企業のパワーバランスやスピード感のギャップを埋めるための、極めて実践的なヒントだ。だからこそ彼は、業務提携で培った楽天との信頼関係に過信することなく、CVCが提示するバリュエーションラインをクリアすべく、FA経由の複数社も並行して最適解を導くために尽力した。市場価値がピークに達する一瞬の機会を捉え、合理的な条件交渉を進めること。それこそが、自社を預ける大企業への誠実さであり、創業者としての責任なのだ。
そしてM&Aは、起業家にとって、次なるイノベーションを仕掛けるための強力な推進力を手に入れる「進化の通過点」にもなる。
2年間の任期を経て楽天ドローンの代表を卒業した青木は、すでに「One World Technology」という2回目の創業へと駒を進めている。彼は歴史のうねりの中で静かに消えかけている、美しき日本庭園と伝統美を「海外の羨望を集めるラグジュアリー・シェアリングプラットフォーム」へと昇華させ、日本文化の持続可能性をアップデートする挑戦をしている。
上場という単一のゴールが幻想と化した時代において、M&Aは決して「終わりのイグジット」ではない。譲渡するスタートアップ、譲受企業、そして、起業家の三者にとって、日本のイノベーションを次なるフェーズへと加速させる装置なのだ。
日本のスタートアップエコシステムの持続的発展のためには、イノベーションの火を止めないことだ。起業家をはじめとする挑戦者が挑戦をし続けられる環境が重要であることはこれからも変わらない。そのためには、関わるすべてのプレイヤーがM&Aを「一つの通過点」として再認識し、真のイノベーションに向けて手を取り合う努力が必要不可欠である。
「M&A for Startups」ミニカンファレンス vol.1
- 「M&Aを勝ち取った起業家が語るスタートアップM&Aの真実と未来」
・開催日:2026年6月18日(木)/ 場所:フォースタートアップス本社オフィス
・開催情報詳細を見る
2026年7月16日(木)
「M&A for Startups」ミニカンファレンス vol.2
「ディープテック×製造業の巨人」譲渡企業と譲受企業の双方が全貌を明かす、スタートアップM&Aの舞台裏
https://maforstartups260716.peatix.com
2026年9月4日(金)
「M&A for Startups Conference 2026」(三井住友銀行・フォースタートアップス共催)
https://www.forstartups.com/news/maconference2026-0617
スタートアップM&A仲介「M&A for Startups」サービス紹介ページ
https://www.forstartups.com/services/startup-ma
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